【映画考察】シャッターアイランド最後のセリフの考察

皆さんは映画「シャッターアイランド」を観たことがありますか?

シャッターアイランド
精神異常犯罪者の治療を行っている「シャッターアイランド」で発生した、
ある女性の行方不明事件の謎を追うサスペンス映画です。
主演 レオナルド・ディカプリオ
監督 マーティン・スコセッシ
公開 2010年
簡単に言うと綿密な伏線が張り巡らされた超難解映画。
そんなサスペンス映画について、ひかりの個人的な考察をお伝えしたいと思います。
この映画を観て、狂気とは何か、真実とは何か、とても深いテーマに触れることができました。
(ネタバレを含みますので、まだ観ていない方はご遠慮くださいね)

シャッターアイランド 狂気の正体は?

自分が狂気なのか? 世界が狂気なのか?

連邦捜査官のテディ(主人公)は、相棒と共に、シャッターアイランドのレイチェル行方不明事件を解決するため島に入る。

実はテディは妻を火事で亡くしており、放火犯のレディスが収容されているシャッターアイランド潜入が本来の目的。

囚人、看護師、医師らに聞き込み調査をするが、全員が様子がおかしくウソをついているようだ。

実はレディスの調査がバレていて、嘘の行方不明事件でテディをおびき寄せたのでは?と相棒が考察する。

次第にテディは指が痺れてきたり、頭痛に襲われるようになる。

洞窟に潜んでた本物のレイチェルから、灯台でロボトミー手術が行われていること、痺れがあるのは食事やたばこに薬物が混ぜられているからだと聞かされる。

島にいる全員が、テディの敵!?
何気なく渡されたタバコに薬物が盛ってあるとか、もう誰も信じられない!
世界は狂気に満ちている
相棒が監禁されていると思い込んでいるテディは灯台に乗り込む。
そこで、衝撃の事実が明かされるのであった。
テディの本来の名前はアンドリュー・レディス。
アンドリューの妻は3人の自分の子供を溺死させ、アンドリューは妻を銃で殺害したのだった。
子供を失い妻を殺害したショックから、精神病を患い、現在はシャッターアイランドの囚人が真の姿。
アンドリューの華々しい連邦保安官としての行方不明調査はすべて自分で作り上げた妄想だったのだ。

自分の周りの世界が狂気かと思いきや、自分自身が狂気の最中
映画「シャッターアイランド」の世界観は、真実とは何か?がテーマの一つです。
洞窟の中でのレイチェルとテディの会話を考察してみましょう。
レイチェル(R)「病気に見える?(You think I’m crazy)」
テディ(T)「まさか(No.No,No,I never)」
R「でもそう言っても意味ないのよね(And if I say I'm not crazy? Well, that hardly helps, does it?)] R「だって精神科に行って病気と診断されると否定すればするほどそう思われる(That’s the Kafkaesque genius of it. People tell the world you're crazy. and all your protects to the contrary just confirm what they're saying)」

 

T「それはどういうことだ」
R「”病気”と思われたら何をしてもそのせいにされる。抗議は”行為の否認”で、恐怖は”妄想”とされ…
T「言葉を切り返すと”身を守るため”と言われる
R「頭がいいわ。用心してね」

この会話のやり取りは、真実の姿は病人じゃなくとも、
病院で”病気”だと誤診されたら、病人に仕立て上げられてしまう人間の認知を表しています。

つまり、何が言いたいのかというと
自分がどういう人間かということと
他人が自分をどんな人間だと思っているか
全くの別物だということです。あなたがどんな人物かは、他人が自分勝手に作り挙げている可能性があるなーとこの洞窟のシーンで思いました。自分の見ている世界が真実なのか、周りの人が信じている世界が真実なのか。
同じ世界を見ているはずなのに、たぶん周りの人が見ている世界は私が見ている世界とは違う世界です。真実の姿は常に自分の中にあります。周りの人が見ているあなたは幻影かもしれません。

自分の中の狂気は楽園なのか?

テディは妻を殺害したトラウマから精神病を発症し妄想の世界の中で生きています。

真実の自分(妻を殺害した犯罪者)ではなく妄想の自分(妻を殺した放火犯を追う連邦捜査官)を作り出しました。

自分の狂気が作り出した世界は、妻の復讐に燃える連邦捜査官で殺人者の面影すらありません。

人は、辛い過去や現実を受け入れると錯乱してしまうから
記憶を改ざんしたり忘れたりすることによって、生きていけるのかもしれませんね
テディのように、受け入れがたい辛い過去や現実は、朗らかな事柄に書き換えてしまうことも生きていく上での秘訣です。
10年経てば死にそうな辛い悩みも大抵覚えていません。
忘れたり、記憶を書き換えてしまうことも時として大事でしょう。

シャッターアイランド 最後のセリフに秘められた思い

ここにいると考える(You know, this place makes me wonder.)
どっちがマシかな?(Which would be worse)
モンスターのまま生きるか(to live as a monster...)
善人として死ぬか(or to die as a good man?)
テディは狂気の世界から目覚め、真実の姿(殺人者)に戻っていました。
それでも、モンスター(殺人者)として生きていくことではなく、善人(妄想が作り出した連邦捜査官)としてロボトミー手術を受けて感情を無くすことを選択したのでした。

テディは最終的に、妻を殺害した辛い過去を背負って生きていくことより、善人(妄想の保安官)として自分の人生に決着をつけました。
自責の念は自分の精神をズタズタにしてしまうことがあります。
辛い過去はもう変えられません。
「今、この瞬間」の感情を大切にしましょう。
今、ここ、で起きていることに焦点を当てて、気付きを得ましょう。
ゲシュタルト療法はこちらの記事をどうぞ。
お伝えしたかったこと
人は辛い過去は忘れたり、良い思い出に書き換えてしまうことで、生きることができるのかもしれません。
辛い過去は誰にでもあるでしょう。
重き荷を負って人生を歩んでいる方もいるでしょう。
過去は誰にも変えられません。
過去の辛い経験やトラウマに囚われず、今この瞬間の心の状態に注目しましょう。
実在しない妄想の世界に思いを馳せても環境は変えられません。
実際に自分のいる環境に注目しましょう。

変えられるべき変えるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そしてその区別をする知恵を与えたまえ。
(ラインホールド・ニーバー)

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